ゴッホはメニエール病からPPPDに?!
ヴィンセント・ヴァン・ゴッホは、生きている間絵が全く売れず、資産家ヘレーネの収集により火がつき、世界に多くのファンが誕生しました。ヘレーネが集めた絵が今東京で展示されています。
改めて違う角度からゴッホをみることができました。ゴッホがパリに移り、印象派に触れてから亡くなるまでわずか3年余り。彼の人生後半絵は暗く、曲線で歪む画風はこの3年に起きたことでした。これらの絵は彼の死を予告していたのでしょうか。
彼は弟テオに宛てた手紙から度々「発作」という言葉が出て来ます。多くの医療者の分析から、発作とはてんかん、もしくはメンタル疾患と考えられています。数名の耳鼻科医は、彼が描く特有の曲線はめまいを表現し、幻聴ではなく耳鳴に悩まされため耳をそり落とし、疾患はメニエール病だと考えています。
私なりに感じるのは、彼がメニエール病だとしたら、恐らくほかの疾患に合併したもののように感じます。1885年パリに移る前に書かれた「ジャガイモを食べる人々」に特有な曲線はみられず、86年「発作」のため、アルルの病院に入院した時に書いた庭の絵でも忠実な描写でありました。退院後から画風が一変したように感じます。
「悲しむ老人(永遠の門にて」」の絵は、以前診察した患者の家族が送って来た写真、メニエール病発作時の患者に重なって仕方がありません。彼の遺作とも言える何枚かの「糸杉」の絵は、私にはメニエール病発作の悲痛に映ります。当時、もしメニエール病を治療してあげられたら、彼は死を選ぶことはなかったのではないか、以前からゴッホのような犠牲者を二度と出したくない、そのような思いで仕事に取り組ん来ました。
近年、PPPD(持続性知覚性姿勢誘発めまい)という、ややこしい奇病が話題になり始めました。内耳由来のめまい疾患で発症するが、長い経過をかけて医療者にさえ理解できない、表現のしがたいめまい感に変化して行きます。研究始まって間もない疾患で、一般人にまだ知られていないはずだが、連日検索して当クリニックに患者が「自分はPPPDではないか」と、受診されます。
研究途中で大学を辞職した人間が偉そうに言うことではないでしょうが、PPPDは患者が動かず引きこもることが症状を誘発すると、医療者が仮説を立てていることに日々疑問を持つようになりました。患者から話を聞けば聞くほど、めまいに対して医療者が適確な医療を施さず、動かずに寝ておけ、気のせいと訴えに耳を傾けず、患者を孤独感に追い込み、不動の元凶は医療者ではないかと感じるようになりました。
メニエール病だけでは患者は自死を選ばないのではないか。ゴッホ最後の絵となった「木と根と幹」に至ってはもはや回旋する曲線はなく、絵全体がゆがんで「ふわふわ感」、もしかしてゴッホは最後メニエール病からPPPDに移行したのではないか、そう感じた展覧会の最後の瞬間、頭が殴られた思いがしました。
帰り道、なぜか歩くとふわふわして来ました。