変換できない「うれしい一言」
何年もふらつくめまいが治らず、何カ所も医療施設を渡り歩いた患者は、私にとっても手強いです。しかし自分が年寄り組であるだけ、最後の砦である自覚を持って毎日緊張感のなかで仕事しています。無論満足して頂けない患者も多々います。開院当時は懸命過ぎて、批判の声の連続でした。最近はそういう方は改善しても一向に治らないと表現する、それがその方の病気だとわかるようになりました。来て損したと言われる途端、大変申し訳ありません、私のような無能の人間がこれ以上あなたを診察する資格はありませんと、口にすることができるようになったのは、還暦後のひとつの成長だと思いました。面白いことに、時にそのような方が地元に戻られ、次の医療施設を探し、そこで中山でもだめだったぞ、と話すと、診察前からうちもお断りしますと言われ、再度戻って来た患者がおられました。戻られるとひとが変わったように虎から猫です。不思議です、ひとって。
そんな中でも頑張ろうと思える力となるのは、難治性と見放された方がよくなることがあり、連日新幹線で遠方から通われる患者もおられ、そして時に職員に来て良かったと一言言い残される方がおられる、それがとてもスタッフ全員の救いとなります。
この方は文字通り、お年が想像できるかと思います。ちなみに女ヘンに七が三つ、まずは辞書やワープロでも出ず、ネット検索で辛うじて「㐂」は出ましたが、女ヘンはついてませんでした。日本語は便利なもので、恐らく「うれしい一言」となぜか読めます。ちなみに「㐂」は喜ぶの古い字体のようです。
「年だから」という一言を医師は使いたがりますが、患者はとても不愉快に思っています。仕方なく使う場合があります。しかしその際には、こうすればその分をカバーしてもとの機能に戻せる、という説明をします。まだ本邦では保険適応になっていない「前庭リハビリ」、一刻も普及することを願っています。
私たちの力となり、次の患者に貢献する元気となる一枚のメモ、最高に「女㐂しいです」。