院長ブログ

メルヘンの目玉焼き

公開日:
監修:めいほう睡眠めまいクリニック院長 中山明峰

 一番好きな料理はなに?と聞かれたら、つかさず「目玉焼き」と答えます。それも外がカリカリに、黄身は半熟に焼いたもの。
 忙しいクリニック仕事の合間、月に二回ほど大学の外来を続けています。今では医局一番の年寄りとなってしまいました。残した睡眠医療センターやめまいグループの仲間から時折相談があり、困ったことのお片付けを引き受けるようにしています。爆弾は私が抱えましょう、何しろ辞職しても痛くないカードで彼らを守れたら本望です。ところが後輩たちも腕がついて来たから、紹介される症例はさすがに手強い。
 在任中毎朝通っていた喫茶店「メルヘン」に寄りました。県外の人たちから驚かれる名古屋モーニングのある店ですが、ここはまた格別。ゆで卵がつくのは常識、ハムエッグがある店はそれほどありません。昭和のスナックから喫茶店に切り替わった店で、平成の若者たちには些か入りにくい空気があり、長年名市大に通っている職員でもこの店を知らないひとが多かろう。
 プレートが届くと同時に、「今日は双子の目玉焼き!おめでとうございます!」といつも明るいジャネットママ。最近「東京チカラめし」で唐揚げに目玉焼きが4個ついたセットにはまっていて、上京した際フランチャイズに一食費やすのは勿体ないと思いながら、目玉焼きのチカラには勝てません。今朝の目玉焼きは2個で4個食べた気分でラッキー!
 10数年前、田んぼの間にある病院から大都会の大学に移った際、あまりの緊張で家では食欲が湧かず、仕事2時間前には家出て、大学の近くの喫茶店で気持ちを落ち着かせてから職場に入ることにしていました。その為、大学周囲のすべての喫茶店に一度は入りました。「メルヘン」はいかにもスナックであります、の風貌でしたが、勇気振り絞って入り、可愛らしいフィリピンママさんと地元の合体のいいおじさんたちが明るく迎えてくれました。デラックスモーニングのメニューが目につき、それ以来何回食べたことか。東南アジアの目玉焼きは大量の油でカリッと焼く、台湾育ちの私にはたまらない一品で、幼少時の記憶が引っ張り出される味です。
 一般の方には想像つかないでしょうが、医学部は未だ偏差値や学閥差別が強く残っているところです。ディスる訳ではありませんが、これにより日本の伝統が保たれるんだと学びました。医学部に入学した1979年は台湾から日本に来て7年目、まともに日本語が話せない状態で愛知医大に現役合格。その時の愛知医大は医学部の偏差値が最低位でありましたが、医師免許とればそんなものは関係ないと親に聞かされました。実際医学部に残らなければいいでしょうが、医学部に残ってしまった運命で色々と社会勉強をさせて頂きました。
 過去の医学部は帝国大学と歴史ある私学にしか存在しませんでした。田中角栄時代に医師不足を解消するため、新設大学と言われる医学部が多数できました。そこには教員がいないため、どうしてもどこかの既存の大学に頼らざるを得ず、自然と新設大学には学閥が発生した訳です。
 既存の大学から新設大学に移った教員は、目を母校に向くのは仕方ないことでしょう。一方、新設大学の学生を懸命に育ててくれる教員も少なくありません。なぜか学術に目覚めてしまった私は、元帝大から来られた先生方のおかげで大学に残して頂き、3人の教授に仕えました。3人目となった教授とはもっとも長く一緒に近くで学ばせて頂きました。ところが彼が教授になり、私を准教授に上げた後から、不思議な空気が漂いました。彼は任期が短く、すぐに引退したが、その頃からなぜか扱われ方が雑だと感じましたが、次の学長になる準備で忙しいのだろうと愚考していました。ところが教授選挙に書類を出したところ、書類落ち!卒業生の書類落ちはよほどひどいスキャンダルでもあろうかと想像するでしょう。ここら辺の話は墓まで持って行くつもりでしたが、なんか認知機能が落ち始めて口が緩んできているような気もします。
 意気消沈していた時に、驚いたことに名市大の教授から電話がかかってきました。「ひでえ話だな、こっち来い」、の一言に救われ、現在全耳鼻科医師のトップに立つ学会理事長を務めている村上教授に言われたまま、名市大に移りました。
 意気揚々で名市大に入ったものの、教授のいないところでは、医局空気は冷ややかでした。教授に、私って嫌われています?と酒の場で泣いたら、「そりゃ嫌われるさ」と即答され、「優秀な卒業生をさておいて、偏差値最低位のお前を准教授にしたのだから、嫌われるに決まっているだろ、わっははは」と爆笑された後、「あいつらな、優秀なくせに努力しないんだ。そのお前に勝てないことを見せつけてやれ、あいつらを刺激してくれ」と真顔で言われました。このことが私を育て、その後の組織運営の責任者として大変勉強になり、差別しない本物の教授に出会ったことは人生最大の財産となりました。
 そう言えば新設大学出て学術で活躍している少ない医師のあるある。学会でほかの大学の先生が寄って来て、「発表を聞いてあなたの研究は立派で感動した、ところで所属は愛知医大だが、本当は帝大の卒業でしょ?」、「いいえ、愛知医大卒業です」と答えると、「それは大変失礼しました」と言われます。同じような会話を人生で3回ほど受けたことがありました。「失礼しました」の一言がこれほど失礼な言葉はないと感じた瞬間でしたが、3回目になると褒め言葉に聞こえるようになりました。
 毎朝名市大に入るのに胃がキリキリしました。その時みつけた「メルヘン」、ここには差別はありませんでした。ママさんはわれわれの時代のいわゆる「ジャパゆきさん」、同じ外国人でも私なぞより何倍も苦労したことでしょう。にも関わらず地元に愛され、その努力と愛情が詰まったモーニングは私の栄養剤となりました。彼女は今では生活も落ち着き、フィリピンの学校に行けない子どもたちがいる家族のために服を集めては送っていることに気づき、その活動を応援しています。
 桜山に行く用事のある方、是非「メルヘン」にお立ち寄り下さい。家にいらない服や靴があったら、入口にあるボックスに入れて下さい。コーヒーチケットおいてあるので、「中山がこれでコーヒー飲んで」と言って頂いて、遊びに行ってやって下さい。メルヘンの世界で必ずエネルギーが貰えるはず!


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