院長ブログ

サンマーメンに祈りを託しました

公開日:
監修:めいほう睡眠めまいクリニック院長 中山明峰

 横浜にいる父が入院したと兄から連絡がありました。面会時間まで伊勢佐木長者町で時間を過ごしました。久しぶりの長者町、だいぶ昔と様子が異なっていました。近くにある中華街の変貌はもっと激しいです。
 そもそも30年前までの中華街は、床にタライをおいて鶏や魚を処理している姿をよくみかけ、決して観光客が立ち寄る場所ではありませんでした。少しずつテレビでグルメ番組を放送するようになり、小さな店で美味しい水餃子を出していた陳さんの「山東」もフォーカスされ、以来行列ができ、何十年と陳さんに会っていません。
 当初の中華街は広東からの移民が多く、昭和の中華の味覚は、牡蠣ソースを頻繁に使う広東料理がベースとなるものでした。中華街で料理を修行した日本シェフの広東料理はさらにアレンジされ、全国に広められ、私にとってそれがまたひと味違う昭和の中華料理として確立されたものがありました。実はこの昭和の味、消えつつあるのです。
 当初の広東移民が高齢化し、代わりに入って来たのが上海と東北の味覚でした。上海はそもそも商業都市で、私には、上海料理は正体がつかみにくいところがありました。中国で一番経済が動くところで、外国の文化を取り入れて、贅沢を尽くしたのが上海料理というイメージがあります。上海料理って、大きなワンタンとか、焼き小籠包だよ、と上海人に言われたことがありますが、そもそも麺類は東北でしょうと賛同できません。上海移民が入り、中華街はビジネスライクにどんどん変化して行きました。
東北料理って何?と疑問に思うかも知れませんが、誰しもが口にしたことある小麦粉の王様、餃子や麺が代表選手です。大連医科大学で講義する機会があり、何度か訪れています。麺類の数の多さには驚き、小麦粉の調理は実に見事でした。ところが食べる店食べる店味づけが濃いのです。どうも大連の人たちに聞いても、東北料理全般は中国でも味が濃いらしいです。
 これは私の勝手な推測ですが、この両者が中華街に入ってから、中華街はTDLのように楽しい遊園地となり、沢山の観光客が集まり、通りに屋台が出て、誰しもが食べ歩きながら、さらに安価に食べ放題店が多数出現して、マーケットが大きく変化しました。中華街は濃い味が好きな大食いの若者で溢れかえる街となりました。
 そのためか、知り合いのシェフたちはどんどん中華街を離れ、寧ろビジネス街の関内や横浜市内、または東京で勝負するように移動しました。
 そうだ、逆に中華街から歩く距離の伊勢佐木長者町に、昔の広東料理を食べさせる店があるはずだ。大通りを散策しましたが、ここもまた、激辛や火鍋、今の若者に受ける新しいスタイルのレストランが軒を連ねていました。
 ふとメイン通りから横道を覗いたところ、その建物の風貌から絶対初代中華街の味を受け継いだ店だと直感し、迷わず入りました。
 店の壁には大正時代に開店した時の写真、そして横には初代の店長と田中角栄さんのツーショット写真が貼られていました。じっと見ていたら女将さんが寄って来て、初代の説明を色々としてくれました。さらに今月中にケンミンショーとアド街天国で、ここの「サンマーメン」が取材され、放送されるとのこと。放送後なら今日は店に入れないくらい行列だったでしょう。
 父親は肺炎で入院したとのこと。面会した時は眠っていました。幸い状態が安定し、熱も下がった様子。呼びかけると頷いてくれますが、体力消耗したせいか、再び眠りに入りました。
 父親は台湾高雄県岡山医師家庭の生まれ。不幸にも中学時に父親を亡くし、すぐに母親も亡くなり、三人の兄弟姉妹を里子に出した後、親の苗字である「蒋」を絶やさないことを誓い、苦労を覚悟でバイトしながら自力で学校に通い続けました。その頃、となり街の橋頭に住むとある裕福な商人が、岡山には勉強できる孤児がいることを耳に入れました。5人の息子と1人の娘を持つその商人は、成績の良くない子どもたちに影響を与えようと、その孤児を家庭教師として家に招き入れ、衣食住の世話をしました。その商人の娘は、後私の母親となりました。
 当時の父親は安心して勉学できるようになり、当時の台湾帝国大学医学部に一発合格し、卒業して耳鼻科医となりました。直後医局の派遣で、台湾の最南端である屏東市の病院に勤務し、数年後、屏東市で開業し、そこで私が生まれました。
 その10年後、父親は多忙な医師生活にうんざりし始め、大学で研究をして来なかったことを後悔し始めました。病院は代理医師を頼み、自分は部屋に籠もって勉強に励み、数ヶ月後、当時のアメリカと日本の両医師免許に合格しました。あっちこっちの海外大学に手紙を出したところ、新潟大学が受け入れてくれました。突如ある日、父親に日本に行くぞと言われて、言葉もわからないまま日本に連れて来られました。高校で横浜に転居するまで、新潟で過ごしましたが、日本語を覚えるのが精一杯でした。
 病床の父の体をさすりながら、じっと顔をみていました。眠っている間に母と会っているのかな、母親も適当に父親をこっちに戻してくれよ、と思ったり、これまでの人生が走馬灯のように駆け巡ったり。
 もうすぐ90歳の父親が入院する度にハラハラします。かけつけた時、熱も微熱となり、バイタルサインも良好だったので、安堵しました。すべてを神さまに委ね、帰路に着きました。
 和食の原点は材料そのものを味わう、素であればあるほどいい、かけそばのように、そばとつゆがあればいいのです。一方、中華はひとつの材料だけで料理を出すことは稀であり、もとの材料の姿がわからなくなればなるほど価値が高いのです。よって、中華での麺には、まずかけそばのように具のないものは稀で、「ちゃんぽん」のように、沢山の具材が載ったものが好まれます。
 その代表的な麺に「サンマーメン」があります。「サンマーメン」は全国共通の名前かと思いましたら、どうも横浜のみの呼び名。さらに「サンマーメン」をググったら、発祥の地は私がたまたま入ったこの「玉泉亭」じゃないですか。
 出て来た「サンマーメン」は、とても安心できる昭和の味で、美味でした。一方、私にはどうしても「魯麺」の味が忘れられません。「サンマーメン」のような麺は中華各地にそれぞれ違うスタイルがあり、そして「魯麺」(ローメン)は台湾を代表する麺であります。台湾はサトウキビが沢山採れる国なので、料理が甘口であります。「魯麺」は「サンマーメン」よりも甘くて、酸っぱくて、ぴりっとします。そして砂肝など、鶏の色んな部位が少しずつ入っているのが特徴でした。
 父親は「魯麺」が大好きでした。よく父親に鍋を渡されて、「魯麺」を買って来てくれ、たっぷり胡椒入れてね、と言われた覚えがあります。もし元気になっても、台湾まで行く体力は保証されないかも知れません。でも「玉泉亭」の「サンマーメン」なら行けるよと、声をかけて病院を後にしました。


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