<父が回復しました> ―と、酔来丼のお話―
父が肺炎で入院し、さすがに90近いと家族も覚悟を決めざるを得ません。二週間前、病床で医療者ではない兄にどう思うかと聞かれ、正直無理に引っ張るのがいいかどうか、判断が難しいと答えました。すると兄がぼそっと、俺は生きていてほしい、と呟きました。医師として職業病的な自分を拭い去ることができず、恥ずかしい思いを抱えて帰宅した覚えがあります。
二週間ぶりのお見舞いですが、気が楽でした。兄から肺炎は治り、後はリハビリ病院を探す段階に入ったとの朗報を貰ったからです。何よりも皆さまのお祈り、そしてこちらに返してくれた母親に感謝です。ひとりでどこでも行く母親は、もう少しあちらでひとりの時間を楽しみたいのでしょう、笑。
病院は中華街を挟んで横浜駅から湾沿いの南側。お見舞いは一日わずか30分しか貰えないので、病院周辺をぶらぶらする時間が沢山あります。前回行った時に、気になった「よこはまばし商店街」をぶらぶら。昭和とエスニックが混ざった商店街は、故・桂歌丸師匠が住んでいた街で有名。時間があれば中華街に脚を向けるのが普通ですが、どうも最近の中華街は、という気持ちがあり、これまで知らなかった横浜を知ろうと大好きな商店街を散策しました。
すると一軒の古い中華料理店の前に地元民で行列。サンプルを見ると、「酔来丼400円」!よ、よ、400、四の百円?!見舞いまでの時間を持て余しているので普段苦になる行列もなんのその。入るなり、なかは昭和にタイムスリップ。壁には著名人ご来店、なんとビートたけしまでが来られていました。
十テーブルに客が数十名あるのに、親子に見えるシェフとホールの二人が全てを切り盛り。勿論「酔来丼」、そしてほかに1,2品を頂きましたが、どれもが絶品です。来る客来る客全員が「酔来丼」を注文し、単価が千円を切り、行列が絶えません。不思議です、この二人、どうしてこのことが苦にならないのか。それどころか、笑顔で客に対応していました。さすがに客たちは二人があまりにも不憫に見え、自分たちからお皿をかたづけ、声がかかるまでホールのお兄さんを呼びません。この二人の仕事はなんだかボランティア活動にしか見えず、自分の仕事の疲れが一気に飛び、元気を頂きました。
食べることが大好きな父親、肺炎は誤嚥性が疑われ、今後胃瘻になる予定です。しばらく経鼻栄養で食べられませんが、落ち着けば胃瘻の方が逆に経口で食べることができると私が兄に提案しました。とは言え、前回のサンマーメンに加え今回の酔来丼、さすがに噛むのは厳しいかも知れません。私が代わりに食べて、幸せになって、笑顔を父親に見せることでよしとして貰おうかな。