院長ブログ

第9回日経「星新一賞」落選作

公開日:
監修:めいほう睡眠めまいクリニック院長 中山明峰

 フェースブックで友人の何名かが「星新一賞」に応募していることを知りました。へえ、あの頃こんな変な小説にはまっていたのは自分くらいだと思っていたが、全国に好きな人たちが沢山いることを知り、嬉しくなりました。素人がチャレンジしてもいいなら自分も出してみよう、宝くじ同様、行動しなきゃ当たらない!
 忙しい開院の最中でした。昔から自分のストレス解消法、頭のなかに非現実的な別世界を作り、いらっとした瞬間脳裏でその世界に移ることです。連日仕事終わると星新一の世界を考え、原稿を書き始めました。
 星新一と言えば、突拍子もない未来を描き、何よりも最後に爆笑させられるオチがあることが大好きでした。これが今の自分の研究や臨床スタイルに繋がっているように思います。聞いてもわからない難しい研究は役に立たないものが多い、患者に宇宙語でしゃべる医者自体が宇宙人、などにならないよう、常に心がけ仕事をして来ました。開院して一番嬉しいことは、こわばった顔で診察室に入られた患者が笑顔で出て行かれることです。「病」を治すのではなく、「ひと」を治すのです。
きっと審査員もこの「科学と笑い」のスタイルを期待するだろうと思い、筆を走らせました。結果、落選して何もびっくりしませんが、がっかりしたことがありました。
 数年前から受賞した作品読んでも、残念ながら自分が描く星新一の姿を感じるものは薄れているように思いました。くすっと笑ってしまう瞬間がなければ星新一ではない、と思っているのはどうも昭和の古い人間たちだけでした。近年は素人にこれだけの先端的な科学が理解できるか言わんばかり、科学論文に出すような作品が選ばれています。仕事で難しい論文を読むことは多々ありますが、それは武装して「戦だ!」と叫んで科学論文検索エンジンのボタンを押す瞬間から脳が切り替わるからできることです。
 そっか、コロナで世界はデジタルに切り替わったもんな。コロナさえ終わればアナログが戻る、せめてハイブリッドで両方の選択が戻る、と期待しているのは間違いかも。星新一オフィスを運営している方々の方が次世代をよほど考えておられるでしょうから、時代遅れの老兵がここで愚痴をいうのもいいことではありません。
 小学校まで台湾にいて、中学から日本語を習い始めた私の文章はネーティブものではないので、普通にコンプラックスを持っています。そんな人間が走り書きで書いているブログに、「文章が変だぞ」と思われても仕方がないと思っています。ところがこの駄作は渾身絞って何十回と書き直し、色んな方のお知恵を借りしました。このままお蔵入りするのは申し訳ないので、恥を忍んで落選作をここで発表します。退屈な時間潰しに読んで頂けたら幸いです。
 友人たちはもう何年も星新一賞に投稿を続けているそうです。来年も頑張りましょうとおしゃって下さいましたが、期待されていない人間はその世界で頑張るべきではないので、ストレスに対抗する新たなる脳内別世界を探します。
 愛する故・星新一さんはあちらの世界で、本当に今の星新一賞の向かう方向に喜んでおられるのでしょうか。新たなる世界がみつかるまで私は昭和・星新一の世界に浸ります。

<AIデジタル時計>
2021年第9回日経「星新一賞」落選作
中山明峰

「N国を存続するためには、すべてのデジタル化を排除するべきだ・・・」
 国会はデジタル社会を破棄し、紙媒体に戻すアナログを支持する与党と、完全デジタル化を支持する野党派に二分化した。デジタル化し始めた頃から子どもたちは新しい世界に夢中。深夜まで電子ゲームやパソコンに没頭し、不登校や引きこもりが増えた。それ以前、引きこもり人口はわずかであったのに対し、今では若者の半数に達し、このままではN国が滅んでしまうと憂う高齢者が多くなってきた。
実際のところ、ほとんどの政治や経済を人口の1割に満たない高齢者が握っており、引きこもりは上の世代が養っている。国がデジタル化を始めたのも、それによって若者たちがやり甲斐をなくしたのも、自分たちにも責任があると高齢者たちはわかっている。しかし、このままではN国が滅んでしまうという現実を目の当たりにし、妙案がないまま、高齢者たちはデジタルを破棄する方針に転じた。
「そもそもアナログは適当で一貫性がない。トラブルが起きても詫びることなく誤魔化す。生き残るには確実なデジタル化一本にするべきだ」と野党は反論した。これまでも与野党の間で議論を重ねてきたが、意見は全く歩み寄らなかった。結果、国会は再選挙のために解散し、1ヶ月後にアナログまたはデジタルのどちらかへの完全化に投票で決めることとなった。
 国家全デジタル化をもっとも支持し、最大野党である「ゼロカイチ党」の党首・デジ氏は政治家である傍ら大学教授を勤め、講義の最中であった。
「そもそも引きこもりとデジタル化は別問題であり、いかにも引きこもりはデジタルのせいだとする意見について、君たちに考えてほしい」
 デジ氏にとって、若者たちは最大の支持者である。しかし、若者たちが投票に興味を示さないことに乗じて年寄りが年寄りを選ぶ選挙となり、国会は百歳過ぎた年寄りが過半数を占めている。一方、デジ氏はインターネットを駆使し、若者たちの心を動かすことを得意としていた。
「そもそもデジタルは第一次世界大戦後に発明され、完成された今のシステムに至るまでわずか二百年だ。それまでなん百万年もアナログで生きて来た人類にとって、デジタルは彗星のように現れ、人間の生き方を変えた」
 大学生たちは生まれた時からデジタルに囲まれ、今更デジ教授が何を話すのかと不思議であった。それがまたデジ教授が若者の目を集める演説の手法でもあった。
「そもそもアナログとデジタルはどう違うか、考えてみたい。アナログは揺らぎながら動き、デジタルは正確に進む、という極端に異なる方法で情報が伝えられる。例えば1の数字を例に挙げる。デジタルの1は絶対の数字であり、これをなん億回繰り返しても1は1である。どれだけ遠い世界に信号を送っても、なん千万年データを保存しても、数字が狂うことはない。それに比べ、アナログの場合、1は1でも、もしかして0.99・・・かも知れないし、1.111・・・かも知れない。一言で言えば、アナログは適当で無駄だ・・・」
 無機質な講義をするとそっぽを向かれるものだが、デジタルが大好きな学生たちであるゆえ、今から話が盛り上がりそうだと期待して、だれひとり居眠りをしていない。
「時計がそうだ。ゼンマイで動くアナログ時計はずれる、デジタル時計は1秒たりとも間違わない。アナログは時間経つと誤差が生じ、誤差が生じた場合、ひとが適当に調整してもとの数字に戻す。われわれが今でも使う世界の共通時間、一日の始まりとされる「0時」、昔はE国のG天文台で毎日調整された。デジタルが出現してから、G天文台の存在が必要とされなくなったのだ」
 デジ氏はひと息飲み、次の言葉を重々しく訴えた。
「君たちは世界からひとつ消えるとしたら、アナログとデジタル、どちらが消えるべきだと思うか・・・」
 学生たちの視線はデジ氏の目と一直線に繋がり、そこにはデジ氏の声以外何も聞こえない。そもそもデジ氏の目の前には誰もいない。リモート講義を送るパソコンが一台あるのみで、学生たち全員の顔がモニターに映るものの、誰が何を考えているのか、空気を察することもできない。
「アナログ時代、ひとは朝9時に学校や仕事につき、夜9時には世の中が寝静まっていた。デジタルの出現により世界は24時間つながるようになり、昼と夜の境目がなくなった。若者たちはデジタルを理解する能力に長け、デジタル世界はどんどん若者たちに支持された。ところがいつしか、朝9時からの労働開始につくことができない人間たちを引きこもりと呼ぶようになり、アナログの世界でデジタルに対する差別をし始めた。アナログを支持する彼らには、もはやデジタルを差別するほかにはいい手段が残されていなかったのだ」
リモート講義画面に映る学生たちは今実際に起きて聴いている学生なのか、デジタル画像による代理出席かわからない。だが、デジ氏は慣れっこで気にならない。というのも、ひとりの発信力ある学生の心をつかむことができれば、そのひとりがメッセージを流してくれ、あっという間に全国の若者に情報が伝わるからだ。
「デジタルのおかげで医療も発展し、それまで3世代で終わる家族が今では5世代まで生存するようになり、人類の平均寿命が100歳を超すようになった。家族が3世代で生きていた頃、親はそれなりに懸命に育児し、祖父母になると寿命が終わる覚悟を持ち、その姿をみると、子どもたちも立派な親になるよう努力した。問題はここだ・・・」
 デジ氏が大声を出したとたん、画面の学生たちの表情が少し変わった。
「ひとの寿命が伸びたが、人口1割の高齢者が政治と経済の半分を握るようになった。その影響で若い両親は生活能力が低く、祖父母、さらにその上の世代が子どもたちを養うようになった。このことが単純に若者に影響を与えたのであり、デジタルのみが悪いとは言えないのではないか」
 画面の前に頭を縦に振る学生が過半数いた。学生が反応して来たのをみて、デジ氏はさらに声のトーンを上げた。
「何をしなくても小遣いを与えられる子どもたちは生活に憂うこともないが、努力して生きるかという目標もない。少子化のため外に出ても遊ぶ相手がいない。デジタルの世界が唯一友だちと出会える場所であり生き甲斐となる。だが、現在もっとも人口が多く、権力を持つ高齢者はやがて自分たちの寿命が終わることに気づき始め、デジタルに依存する君たちへの差別を一層強めるような歪みが起きている」
 「若者」という言葉から、「君たち」にすりかわったことには、デジ氏の計算があった。少子化にともない年々講義も減り、こうして直接子どもたちに訴える機会も滅多になくなってきた。反応した学生の中に世界に発信をしてくれる人間がいると確信しながらも、内心デジ氏不安があった。
「年寄りたちは、引きこもりになったのも少子化になったのも、すべてデジタル化のせいだと決めつけ、デジタルを全廃止しようとしている。もしデジタルがすべて消された時のことを真剣に考えてほしい」
 デジ氏は精一杯の大声を出し、リモート画面の音声ボリューム表示が一瞬振り切った。画面では講義時間が残り5秒と刻んでいた。学生たちの表情が聞き始めの時よりも締まっていることを確認したデジ氏は、学生から最大の同感を引き出すように声を低くして、願うばかりの思いを込めて、最後の一言を残し講義を終えた。
「次の選挙でわれわれの人生が決まる・・・」
 画面は3,2,1,と正確に時間をカウントダウンし、学生たちの顔は消えた。一瞬暗くなった後、パソコン画面は学生時代からの親友であるタル氏に入れ替わった。
タル氏は大学卒業後すぐにベンチャー企業を立ち上げ、弱体化した人間の健康管理をするバイタル腕時計を開発し、その時計を腕につければ体が健康か病気かを知ることができる優れものであった。時計から睡眠時間、起きている時の活動量、筋肉、血液や内臓の状態、体内で起きていることなんでも把握することができる。
これらの情報に基づいて人は睡眠時間を調整し、筋力低下を知ることで運動量を増やすことができ、体の不調を早めに察知して病院に受診することも可能となるような素晴らしい機器なのに、それが売れなかった。莫大な開発費を費やしたため採算が合わず、会社運営に苦しんでいた時に、ちょうど政界に打って出ようとした親友のデジ氏に相談した。
デジ氏は学生時代からボランティア活動で引きこもり問題に関わっていた。引きこもりたちは、部屋にこもっていると病気しがちで体力もつかず、社会に順応できないことをいいと思っていない。ただ、どうしたらいいのかわからないでいることを、デジ氏は理解していた。社会にこの問題についてもっと関心を寄せてもらいたい、彼は引きこもりを助けたい一心で政界に出る決心をしていた。
デジ氏は、バイタル時計を引きこもりの人たちに無料で配ることをタル氏に提案し、タル氏は信頼する親友デジ氏の意見を受け入れ実行した。するとバイタル時計をした多くの引きこもりはみるみるうちに筋肉が強化され、健康体になり、朝起きることができるようになった。このことがインターネットで話題となり、デジ氏は引きこもりたちとその家族から多大なる支持を得て政界に出ることができた。そして傾きかかったタル氏の会社も隆盛を極めた。
「おー、元気か」
「まあね。君のアイディアでバイタル時計が売れて、それ以来色んな機能を加えながらバージョンアップしているのだが、最近売れ行きが下降しているのだ」
「それで俺に相談して来たのか。でも、これまでもそうだが、君が困っている時は俺も困っている時なんだよ」
「どうした?そうか、ニュースでみたが、来月完全デジタル化か完全アナログ化かを決める投票があるよな。困るよ、もし本当にデジタルがなくなったら、俺、路頭に迷うよ」
「そうだろう。馬鹿げた話だよ。なぜ与党が焦っているかというと、与党の中にもデジタル支持の人間がいて、俺ら野党の票と合わせるとデジタル賛成は半数を越える。年寄りにとってアナログに戻す最後の機会だから、彼らもかなり焦っていて、引きこもりに対する差別を強めているんだ」
「デジタル賛成票が半数越えているなら心配ないじゃないか」
「それがね、最大の問題がある」
 デジ氏は少し元気をなくした声で話を続けた。
「国会の採決時に限って、デジタル派閥の1割ほどのメンバーが出て来られないんだ」
「なぜ?」
「お前も知っているように、デジタル派閥の多くは朝起きられない。それを与党は把握していて、重要な案件の採決は必ず朝早い時間に設定している」
「そいつらにバイタル時計配ってないのか」
「配っているよ」
デジ氏は少し大声を出して話を続けた。
「お前のバイタル時計には最大の問題がある。バイタル時計は色々と教えてくれる。病気になったら病院に行けばいい、筋力低下すればジムに行けばいい。しかしバイタル時計が睡眠状態を把握し、起きるべき時に目覚ましの音を鳴らしても、昼夜逆転の人間にとっては蚊の飛ぶ音に過ぎず、起きることができないんだよ」
「そうか、バイタル時計は色々と測ることができても、実際使っている人間がどう反応するかで結果が変わる。それで今ひとつ売れ行きが悪くなったのか。困ったな」
タル氏は肩を落としながら、
「昔からよく言うけど、人間が集団を作ると必ず3割の優等生、4割の平均的な人たち、3割の劣等生が発生するって。デジタル派閥の人間たちはほぼ全員が昼夜逆転なのだが、優等生を先頭に7割のメンバーはなんとかして大切な議案決定には必ず出席してくれた。だが、残りの3割が・・・」
 かなり前からデジ氏はこのことに悩んでいた様子でさらに話を続けた。
「先に起きた人間がその3割の人間を起しに行くが、それでもどうしても死んだように寝ていて、国会にたどり着けない1割の人間がいる。その1割が今回投票に出てきてくれれば、与党と野党が逆転するのだよ。」
嘆きながら話したデジ氏だが、語り終えた直後何かを思いついたかのように、目を見開いた。
「おい、最近流行している機械で、電気を流して筋肉をピクピク動かし何の運動をしなくても筋肉質になる機械があるじゃないか。お前のバイタル時計からそのような電波を流して、ひとを動かすことはできないか。」
タル氏はその話を聞いて飛び上がり、一瞬画面から顔が消えたが、すぐにもとの位置に戻った。
「なんで思いつかなかったんだろう。しかもひとをコントロールできるAIを加えれば、バイタル時計が勝手に人間の筋肉に刺激を与え、眠ったままでも体を起こすこともできるし、歩いたりするのも可能になるぞ!」
二人は明るい未来が見えたと喜び合い、リモート会議を終えた。
AIをとりつけた新型バイタル時計はあっという間に完成し、最大の機密としてデジタル派閥全員に取り付けられ、そして投票日に党員全員が投票所に集まった。まだ眠っている党員もいたが、起きている党員がリモートでラジコンを操作するように眠っている党員のAIバイタル時計に信号を送り、彼らの足の筋肉を動かし投票所まで歩かせ、手の筋肉に「デジタル支持」と書かせ、投票箱に票を入れさせた。投票するのに紙と鉛筆で書く最後のアナログ作業だと願い、デジ氏は無論、デジタル支持に一票を投じた。
一目でもこの瞬間を見たい群衆が大勢国会前に集り、開票を待ち構えていた。群衆と国会の間には数百台のテレビカメラ、そして数千名の記者たちが構えていた。開票の結果、わずか1票差で辛うじてデジタル派閥が勝利し、その瞬間与野党の入れ替わりとなった。昨日までN国の野党であった「ゼロカイチ党」の党首・デジ氏は、この日から最大与党の総理大臣となった。
群衆が待っていた国会前に現れたデジ氏は、かつて人生で見せたことない笑顔を見せた。記者たちに今の心境をポーズにして下さいと言われ、彼はそのリクエストに応えた。彼は天を仰ぎ、顔すべての筋肉がけいれんするほど力が入り、口角は目一杯上がり、目を一文字に結び、眼窩奥深くに眼球をひっこませ、目の周りの皮膚をしわで引き込んだ。彼の表情にはここまでの苦労を思い出しながら涙こぼれんばかりの感情と、未来への希望が混在していた。彼の両手は天に届くというところまで挙げられ、拳が力強く握りしめられた。
デジ氏に向けたカメラのフラッシュが嵐の閃光のように曇り空一帯を明るくし、記者たちの実況音声が群衆の歓声で消された。この瞬間に撮影されたデジ氏の姿は、その年の「ベスト・感動賞」を受賞し、国民に力強さと希望を持たせた。その時彼が腕にしていたデジタル時計は、「顔面筋、両上腕二頭筋、筋力10点、適度な休息を」と刻まれていた。
 デジタル派閥は国からすべての紙と筆をなくし、アナログを禁止した。デジ総理大臣とタル社長はさらに進化したAIバイタル時計を開発し、全国民に義務化して強制的に装着させ、それを外すことができないように腕に固定した。
その最新型のAIバイタル時計は国民の健康状態を把握できるのみならず、個人識別ができるため、財布代わりや通話手段としても使うことができた。そしてAIバイタル時計の情報はすべてデジタル庁が把握し、N国の大臣で共有できるため、犯罪を起こしそうな人物の筋肉のパターンを察知し、AIでその筋肉の動きを止めることで犯罪を未然に防ぐことができるようになった。プライバシーがなくなると不満に思う国民もいたが、犯罪の消失により支持する国民が大多数となった。
国民の筋肉をコントロールできるようになったので、昼夜逆転もなくなった。なぜなら夜になれば、国が操作してAIが国民の筋肉を止め、動かない状態を作り、意図的に寝かせることができるようになったからだ。同様に深夜の仕事で働き手が足りない問題も解決できた。国は国民の労働量まで把握しているので、税金を支払わない人間の筋肉をAIバイタル時計が勝手に動かし、深夜に労働をさせることで国の生産性を上げるとともに、税金を支払わせることに成功した。
アナログ支持だった年寄りが強制的にAIバイタル時計をつけさせられていることに反対するかと思っていたが、そうでもない。AIバイタル時計は健康状態を向上させ、年寄りの寿命がさらに延びたからだ。何よりも年寄りは金を持っていると思われていたため、これまで外出すると暴漢に襲われることを恐れたが、今ではその心配もない。
AIバイタル時計は自己学習するため、装着した人間の習性を学習して機能がどんどん更新されていった。人間の生活には一切の無駄がなくなり、悩むこともない。すべての煩悩はデジタル計算され、AIが決めた回答はひとつしか出て来ない。
まるで宗教のように、ひとはAIバイタル時計が出した回答に陶酔した。AIバイタル時計の管理下で犯罪が激減し、裁判所の必要性もなくなった。人間が行う争いごとのために最高裁判所だけが残り、それ以下で争うようなもめ事はすべてAIバイタル時計が回答を出してくれる。夫や妻の行動をすべてAIバイタル時計が把握しているので、どちらが浮気したか、育児放棄をしたか、暴言を吐いたか、ギャンブルに走ったか、すべて記録されている。ふたりのAIデジタル時計を突き合わせれば、離婚協議になった場合でも結論が出るのが早い。親権について争うこともなく瞬時に結論が出て、別れた子どもに会う時はAIバイタル時計がすべてスケジュールを管理してくれる。約束を忘れたとしてもAIバイタル時計が筋肉を動かし、決めた場所に向かわせてくれるのだ。
ひとは悩まなくなったため、教科書からソクラテスやアリストテレスを始め、すべての哲学者の名が消えた。過去の偉人たちはアナログ時代の弊害として紹介され、人間が生きて行く上で、「悩む」ことがいかに無駄かを教育するための教材となった。
人間にとっての幸福はひとつしかない、それが完全デジタル世界の哲学である。完全デジタルになってから、人類は飛躍的に進化した。迷いがあればすべてAIバイタル時計が最適な回答を出してくれるため、過去には一年かかった会議は一分で決議するようになった。
アナログがいいのか、デジタルがいいのかの議論は既に愚問となった。このデジタルN国を築き上げ世界を手にしたデジ総理大臣は選挙の度に再選されたが、いよいよ総理大臣の座を降りる時が来た。総理大臣任期中の十年間で、世の中のシステムは人類の歴史の約百年分進化した。
デジ氏は総理大臣にはもう未練はない。何しろデジタルのお陰で大勢の国会議員も必要なくなり、AIバイタル時計さえあれば総理大臣いらないのではないかと自問し始めた頃であった。
国会前には数百のカメラ中継が集まり、デジ総理大臣最後の引退演説を待っていた。十年前の当選演説時と大きく異なったのは、大勢のカメラ撮影隊や記者たちの群衆がなく、カメラ操作はAIがこなしている。
会場をまとめるディレクターはどこかのスタジオにいて、リモートですべての機器を見守っているが、姿は見えない。もしかしてディレクターもAIかも知れない。地上の無人カメラに加え、空はドローンカメラで埋め尽くされ、自由な角度から高感度カメラで構えている。「前のカメラマン頭引っ込めろ!」と、昔のようによりよい撮影角度を撮るため、カメラマンたちが争う声も聞こえない。
デジタル世界とは言え、やはり生の世紀の瞬間がみたいと、会場には大勢の民衆が集まっていた。いよいよデジ総理大臣の退任演説5分前となり、デジ氏は最後のリハーサル調整のために演説台に立った。
演説台と群衆の間の空間が一瞬ピカッと光ると、空に浮遊する不純物が集められ、その粒子に電子を与えると、空間に浮く三次元のスクリーンが現れた。そのスクリーンには演説台からでも、群衆側からでも見えるように、会場カメラが撮った画像が映し出された。そして、ディレクターが出した指示のコメントをスクリーンに映すこともできるが、群衆からは見えず演説台からしか見ることができない仕掛けとなっている。
デジ総理大臣が演説台に立った直後、民衆の目に映るスクリーンには遠くに立つ生のデジ総理大臣と、彼が就任した時からこの瞬間までを振り返るビデオが流されていた。一方、演説台から見える画像には、遠くにいるディレクターとデジ氏の最後の打ち合わせ画面が映し出されていた。
最後のリハーサルで、十年前「ベスト・感動賞」を撮ったデジ氏のガッツポーズと最大の笑顔の写真が映し出され、その下にディレクターからのコメントが添えられていた。
「演説終了直後、十年前の写真をスクリーンの左に、今のお姿を右に映し、二つの写真が移動して、真ん中で重ね合わせて終えたいと思います。演説最後の瞬間、十年前の写真と同じ表情とポーズを力強くお願いします。」とテロップが映し出されていた。
ディレクターは過去と現在を重ね合わせ、未来を意味するメッセージを全国に送りたいという思いがあった。
いくらデジタル世界で急速に進化したとは言え、所詮人間は人間。デジ氏は十年間体力的に衰えた自分がいることを知っていた。十年前のポーズと同じくらい筋肉質に映るだろうか、あの頃と同じように腕を空に向けて上げられるだろうか・・・、彼は不安であった。
「そうだ・・・」演説開始まで残り少ない時間の中で、彼は慌てて腕につけたデジタルAI時計をセットした。当選当時と同じポーズがとれるように、「顔面筋、胸筋、両上腕二頭筋・・・」、電気刺激装置の数字を全身すべての筋力最大の10点に合わせ、手を挙げた時にAIバイタル時計から最大の電流が走って筋肉を動かしてくれるようにセットした。
デジ総理大臣最後の演説が始まった。アナログ時代の引退演説は、総理大臣がマイク一本を頼りに気持ちを伝えた。その時その時の出来事を振り返りながら、国民と感情を分かち合った。時には喜び、時には悲しみ、災害で国民が苦しんだ話に及ぶと涙ぐむシーンもあった。
ところがデジタル時代になってから、すべての感情は不要となった。国民は人間の頭脳がAIを越えることはないと確信していたので、デジタルAIが次世代を担う最高の候補を挙げ、国民、国会はそれを承認する作業のみとなったため、喜ぶことも悲しむこともない。それが最高の幸福だと全員が認識していたからだ。
これから去る総理大臣の演説なんてデジタル世界では全く意味を持たないことを、デジ総理大臣は知っていた。しかしデジタル世界に残るわずかなアナログ文化の儀式を守ることは、心なしか残るアナログ賛成派への礼儀として、デジ氏は全国民への謝意を述べて、淡々と3分間だけ演説した。
最後の瞬間が来た。スクリーンの左には十年前のデジ氏のガッツポーズが映し出され、右には演説を終えたばかりのデジ氏が映った。そしてアナウンサーが促すように話した。
「さあ、総理大臣、是非十年前のベスト感動賞と同じようなポーズを取って頂きたいと思います。過去と現在を合わせ、未来へとつなげる映像で国民に最後のポーズをお願いします」
デジ氏は目一杯の笑顔を空に向け、さらに腕を上げると、AIバイタル時計から電流が流れ両腕の筋肉が盛り上がった。拳に力が入り、十年前のポーズとほぼ同じ角度に腕が上げられた瞬間、古い画像と新しい画像が向かい合うように動き、空中スクリーンの真ん中で重なった。
その瞬間、会場から拍手ではなく、ざわめきが走った。デジ氏の視線は空を向いているから、本人は何が起きたかわからない。しかしいつまで立ってもざわめきがなくならない。さすがのデジ氏も不安になり、腕を下ろしてスクリーンをみた。そこには重なった自分の二つの像があったが、腕や拳の位置も、力強さも変わらない、しかし何か大きな違和感がある。まるで違う人間がいるように、異なる顔が映し出されていた。
画像の下にディレクターからのメッセージがあった。
「もう一度撮り直すので、笑顔で、笑顔で」とあった。
デジ氏はもう一度気を取り直して、最大の笑顔を作り、再度撮影して貰った。しかし、群衆のざわめきはどよめきに変わっただけであった。ディレクターから再度催促のメッセージが太字で映し出された。
「せめて笑顔を」
デジ氏は何かを察し、慌ててAIバイタル時計の筋肉計測機能の測定ボタンを顔面筋に合わせて押した。そこには「顔面筋退化・機能停止・回復不能」が表示され、異常発生ランプが点滅し続けていた。


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