きよしこの夜
米国留学中、生まれて来る子どものために、国際的でかつクリスチャンらしい名前を与えて下さいと祈り続けました。するとある夢のなかで、「魚を捕る網を捨てひとを捕るひととなれ」と言われ、イエスの弟子になった瞬間のシモンペテロが現れ、目が覚めました。英名で「Simon」が夢の残像に、寝ぼけながら「和名」はどうしたらいいの?と呟くと、賛美歌を表す詩、聖書を著す文、「詩文」はどうかと返事があり、なんて素敵な名前だと驚き、はっきりと目が覚め、すぐにメモを取った憶えがあります。
通っていた教会の若牧師夫妻とは仲良し、7月末に誕生した詩文を洗礼してくれました。その年のクリスマスイブには、教会入り口に作られた飼い葉桶に、マリアに抱かれたイエスとヨセフに扮したわれわれが藁葺きの中に座り、礼拝に参加する皆さまを出迎え、礼拝中、夫妻で「きよしこの夜」を皆の前で歌いました。牧師夫妻に言われたままやりましたが、今から想像したらひどく赤面します。
ひとりが「詩文」なら、もうひとりがルカだろう、なら英語は「Luke」、和名は「路加」だと考え、次男が生まれました。二人とものびのびと成長してほしいと願い、その30年後、詩文は組織運営を手助けするコンサルティング会社を立ち上げ、そして路加は医者となりました。名は体を表すとはこういうことなのかなと、はっとするこの頃であります。
「きよしこの夜」が流れると脳裏でリフレインするのは、当時何十回も練習し、暗記した英文であります。実は和文と英文でかなりイメージが異なります。「ねむりたもう いとやすく」は「Sleep in heavenly peace」となっています。正直「いとやすく眠る」というイメージが湧きませんが、「天国にいるような平和な気持ちで眠っている」という表現は、当時かなり心に刺さっており、いつまでも子どもたちがこの状態で眠れる家を作りたいと心に誓いました。
不思議と子どもたちがいない今、眠れない患者のケアをする専門クリニックを運営し、すべては「きよしこの夜」から始まっていたことに気づかされました。