院長ブログ

蛇のように賢く、鳩のように素直になりなさい(マタイによる福音書10章16節)

公開日:
監修:めいほう睡眠めまいクリニック院長 中山明峰

「蛇のように賢く、鳩のように素直に」という言葉は、危険な状況に置かれた弟子たちに対してイエス・キリストが教えた言葉です。長い間、私はこの言葉の真意を解読できずに悩んできました。東洋の文化はどうしても儒教の影響から抜け出せず、この言葉は「矛のように最高の攻撃力を持ち、盾のように最大の防御力を持て」とも解釈できるように感じられるのです。
かつてテレビのバラエティ番組『ほこ×たて』では、攻めるか守るかを競う内容が放送されていました。例えば、切れるカッターを売る会社と、絶対に切れないと謳うチェーンの会社が、その本物性を競うものでした。非常に残酷な番組でしたが、どちらも自分たちの製品が日本一だと自信を持っていました。しかし、その勝負の結末は必ず一方が勝ち、もう一方が敗れるというものでした。
「蛇のように賢く、鳩のように素直に」という聖句は、信者の間で争いの火種になりかねないという心配もありました。私たちは教会の中では鳩のように素直ですが、一歩外に出れば、より賢く、ずる賢く生きる必要が出てくることもあります。言葉の上では、両極端に生きることは難しいです。曖昧に、時には蛇のように賢く、時には鳩のように素直に、グラデーションの中で生きる方が自然です。ただ、これは昭和世代までの話です。
昭和半ばに医師になった私は、仕事が終われば夜通し当直し、徹夜明けに次の仕事や手術をこなすことが当たり前でした。先輩に怒鳴られ何か言われても、それも愛情の一環と受け止めてきました。仕事が終わると食事に連れて行ってくれたり、適齢期には彼女を紹介しようと気にかけてくれる先輩もいました。しかし、令和の今では、「飲みに行こうか」はパワハラ、「彼女いる?」はセクハラとされ、先輩はコンプライアンス委員会に呼び出される時代です。
人類は約700万年前から飢餓と闘ってきました。私が幼い頃も、「餓死」などの言葉を時折耳にしました。しかし今では、肥満や過食による疾病が増え、死因の上位も過食と関連したものが多くなっています。母親の時代は、女性は学ぶ必要がないとされ、大学へ行きたくても行けませんでした。今では、学校に通わない子どもたちが30万人以上、引きこもりと合わせると100万人を超えています。
一体、いつからこのような二極化が進んだのでしょうか。私の記憶では、2000年頃ではないかと感じます。当時、「2000年問題」と呼ばれるコンピューターの不具合を恐れ、社会は混乱を避けるために準備をしました。実際、1999年の大晦日には、医師やスタッフ全員が徹夜で病院内で過ごしました。
2000年以降、世界はデジタルへと移行しました。子どもたちの遊びは羽根つきや凧揚げからテレビゲーム、電子ゲームへと変わり、今ではスマホ一台ですべてが完結します。人と会話や交流しない社会になりつつあり、コロナ禍ではデジタルだけの世界がさらに広がりました。例えば、大学を卒業した若手社会人の中には、コロナ禍の3年間、誰とも会話しないまま卒業した者もいます。電車の中でも、スマホを見ていない人は珍しい状況です
このように、アナログとデジタルの世界は今後どう変わっていくのでしょうか。
60代の私は、同窓会に行くとまだスマホを拒否する同級生がいます。コロナ時代の学会はリモートでしたが、今ではリモートと現場のハイブリット会議となり、会場に来るのは同年代がほとんどで、若者はほとんど見かけません。リモートと対面の共存は進んでも、その境界が曖昧になり、どこに真の若者がいるのか、見失いそうです。
「蛇のように賢く生きるべきか、鳩のように素直に従うべきか」と悩むことがありますが、若者たちはそういう葛藤をあまり感じていないかもしれません。彼らは、「人工頭脳」と呼ばれる、より賢いソフトに返信を求め、その答えをすぐに得ることができるのです。そう思えば、悩むことができるは幸せなのかもしれません。人間らしい悩みがあるからこそ、人生が豊かに感じられる、ような気がします。
ただ、若者たちは、こうした年寄りの思いを理解しようとせず、自分たちの言語や価値観を持って進んでいます。私たちより「人工頭脳」の方が信頼できると感じるのは、「悟らせる」必要のない若者側の視点があるからかも知れません。むしろ、新たな教祖的存在が若い世代の中に生まれているのではないかとさえ感じることがあります。と言いながら、この文章は最後に「人工頭脳」にチェックして貰っている私もいます。
これほど二極化した社会の中で、誰が歩み寄るかが今後の課題です。老人が若者に、あるいは若者が老人にとっての理解と共感を示す必要があります。昭和の成功体験にしがみつき、力任せに押し通すのは通用しなくなっています。
2025年秋の総裁選の結果は、全国民を驚かせました。戦前の日本軍は新聞を操り、国民を洗脳した過去があります。戦後は、進駐軍が「プレスコード」によるメディア規制を行い、私たちはテレビや新聞の情報を信じてきました。それに対して、インターネット情報もポピュラーになり、情報の二極化が進みました。テレビや新聞などの「オールドメディア」はAさんの勝利を予測し、インターネットの「ニューメディア」ではBさんの当選を予想していたのです。結果は「ニューメディア」が予測したBさんでした。 
この二極化を乗り越えるには、オールドメディアが力を緩めてニューメディアに歩み寄るか、または逆に、ニューメディアがオールドの信頼を得る必要があります。しかし、結果は、オールドメディアは「こぞって謝罪報道」を余儀なくされ、時代の流れは、年配層が切り捨てられる方向に進んでいます。
若者たちの心には、新しい文化や価値観が満ち溢れ、伝統的な宗教や文化の保存が困難になっているかもしれません。多くの宗教も、通常は「蛇のように賢く」問題を解決しようと模索していますが、容易ではありません。
最後に、先の総裁選の緊迫した状況の中で、長老の一言がすべてを変えました。それは、「民意に従いなさい」という言葉でした。「鳩のように」素直な表現でありながら、同時に「蛇のように賢い」一言でもありました。この一言が、社会の流れを一気に変え、このようなかっこいい年寄りになりたい。


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