「ひまわり」とクリスチャン
これまで予約制でなかなか入れなかったSOMPO美術館、やっとヴィンセント・ヴァン・ゴッホの「ひまわり」に出会いました。驚くことに絵の撮影OK。平日で空いており、しばし前の椅子でボッと眺めていたら、「ひまわり」を描くゴッホがぼやけて見えました。この絵は耳をそり落とした直後の療養中に画いたよう。痛々しい。近くでみるとひとつだけ赤い点が一輪の花の中に画かれ、目立つこの赤い点は何も意味するのだろうか。
「ひまわり」は7枚存在します。ゴッホはアルルで画家の活動を開始し、弟のテオにも頼んであっちこっちの画家に手紙を出し、自分に同調する仲間を呼び寄せることを楽しみにしていました。これから集まる仲間の部屋に飾って貰う楽しみのため、彼は「ひまわり」を12枚になるまで画き続ける予定でした。ところが、彼のもとに来た唯一のゴーギャンともすぐに問題が発生し、ゴーギャンは彼のもとを去りました。結局彼は7枚でひまわりを画くことをやめました。
彼がひまわりを12枚画く予定だったのは、イエス・キリストのように12人の弟子を集めたかった、という説があります。ゴッホが多くの後世に好かれるのは、どことなく不器用であるところかも知れません。また、彼を分析した多くの医学論文、患者の作品として診るのもまた彼の絵に引き込まれる理由かも知れません。
クリスチャンとして彼をみた時、「ひまわり」を7枚で挫折したこと、それはそれで良かったと思っています。イエス・キリストは12人の弟子を集めたのではなく、イエスのもとに集まって来たことに彼はどこかで気づき、失望と葛藤からその後の名作を生み出したのかも知れません。
反抗期の頃、プロテスタント・クリスチャンの父に、なぜ自分で宗教を選ぶ権利がないのか、と反発したことがありました。すると父は、自分で納得する宗教選んだらいい、ただし、その宗教には教祖がいないこと、金銭を要求しないこと、ブッタもイエスも自分は教祖だと一言たりとも言わず、すべての金銭をひとに施して来たから、宗教として生き残れたのではないかな、と話してくれました。中学生にはわかりやすい説明であり、生涯頭に残る話でした。未だに全財産を出さないと救われないと強調する宗教が存在し、それに同調して家族破滅させるまで入信するひとがいる、不思議です。
ゴッホは生きている間に絵が一枚しか売れず、失望で人生を終えましたが、後世大勢が彼のことを慕うとは夢にも思わなかったでしょうね。彼は今頃天国で、「ひまわり」12枚完成せず良かったと、微笑んでいるかも知れませんね。