実家はどこ?
私はよく患者に「実家はどこ?」と聞く。患者の背景にある家族や文化を知り、診療に役立つためだ。「お盆は帰るの?」という質問は会話を豊かにしてくれる。
通常病院施設は夏休みしない。クリスチャンでもあり、人生でお盆休みを迎えたことがない。ところが、クリニックのあるスタッフが近年、心の痛むお盆を迎えていることを知り、今年は休みにした。親友にもうひとり、毎年お嬢様が戻ることを楽しみに野菜で作った馬と牛をFBにアップしていることを思い出しながら、それぞれのために祈った。
3年前に母親を亡くし、すぐに父親が弱るのではないかと心配したが、「幸い」認知機能が急激に落ちて、辛うじて施設でひっそりと暮らしている。家があっても、両親がいないとその場所はもはや実家ではないことに気づいた。
10歳の頃、言葉もできないまま台湾から連れて来られ、家族5人で荻窪の四畳半から貧乏生活がスタートした。自分のいる場所は現実で、見上げた遠く東にある高層ビルたちは未来、子ども心に悲壮感と希望が潜入して誕生した矛盾が、人生の生きる根底に根付いたのかも知れない。
50年の紆余曲折を経て、憧れの高層ホテルに泊まり、街を一望できる部屋で執筆できることは最大の喜びだ。各地に散る家族に会ってはここに戻り、眺める街の姿に写る思いは天気と時間帯で飽きることなく変化し、その都度上下する自分の心拍数を感じるのもまた楽しい。そうか、「実家はどこ?」って、その都度、その場所を変えてもいいのではないか。
窓の外には現実、パソコンの中には未来、このコントラストが好きで、移行空間にいる現在に充実感を抱くことができる。還暦から後の時間はおまけ、「起承転結」を完成するにはまだ早いが、一時も無駄にしたくないため、日々初期の「結」を楽しんでいることを確認する。
さあ、「結」の「結」をどうまとめるか、パソコンの中に探したが、回答がみつかる訳がない。ただ、近い未来ははっきりと写っていた。そこには明日からも遠方からクリニックに来て下さる患者と家族のようなスタッフがいる、新しいスタイルのクリニックに興味を持って学びに来てくれる後進がいる、次々と展開する企業との睡眠プロジェクトがある、学術離れて2年も経つのに大きな全国学会会長が講演の機会を恵んで下さる、なんて幸せなやつだ。会長たちの顔を思い浮かべながら、秋の学会を最高に盛り上げたい気持ちで講演を準備すると、キーボードを弾く指が軽快で、まるでピアニストになった錯覚に陥る。
もしかしてこのビルから西を臨めば、幼少期の自分と視線が合うのかも知れないが、そんな愚かなことはしない。パソコンの中にぼやけて見える若者たちのために、経験と知恵を絞り出して形に残せば、自然と「結」の「結」に辿り着くのではないか。
心拍数が続く限り、未来に価値を見いだすことにした。命に限りがあることは、悪くない。