<武士から受けた贅を尽くした歓待>
武士は高楊枝という表現があります。腹を空かしてもその姿をさらしてはならないということです。大学の教職でも医学部がもっとも過酷です。外来、手術、当直は当然、時間を縫って教育、研究、学会報告に論文作成。一日仕事してそのまま当直に入り、夜が明けてそのまま外来、手術と続く。いつまで立っても医師の労働改善はなされないことは実に残酷であります。大学を離れて1年、当初は不安もありましたが、今では大学にいるメンバーが皆、武士に見えます。
日本耳鼻咽喉科学会山口県地方部会例会・学術講演会でお話をさせて頂く機会を頂きました。頂いた演題は「耳鼻科疾患の掘り起こしwithコロナー睡眠とめまいの観点からー」でした。
小生は相当変わっている耳鼻科医です。耳鼻科でシュシュするスプレーに治療意義を感じず、耳鼻科医が嫌うめまいや睡眠疾患に没頭して参りました。過去には患者にスプレーしてくれない医師と投書されたことがありました。ところがコロナになり、学会から飛沫を作るスプレーは禁止となり、耳鼻科クリニックの閉院が相次ぎました。変人が急にスポットを当てられるのも不思議な気持ちです。ただ、正しかったことを証明するのに30年かかるんだと感動するとともに、変人と言われても仕方ないや、溢れ笑いをすることができるようになったため、私は年を取ったことを喜んでいます。
何より日本由来の治療法を重んじる学会の重鎮には相当嫌われました。「Epley耳石置換法」を日本に広めたことを未だに許さないとおっしゃる方もおられます。こんな人間でも守ってくれ、使ってくれたのが本物の武士だと感謝しています。私を愛知医大から名古屋市立大学に勤務する機会を与えて下さった村上信五教授は、現在全耳鼻科医のトップに立つ学会理事長となりました。古き重んじ、新しきを取り入れ、酒の席では自分から下々まで注ぎに行くことができる村上先生は、誰もが納得する武士から殿様になられた方です。
もうひとりの武士を紹介したいと思います。村上先生の見守りがなくなり、開業すれば大学陣からは相手にされないのが普通です。それにも拘わらず、山口大学・山下裕司教授から、退官前に遊びに来てほしいとお誘いを頂きました。行かせて頂いてから知ったのですが、少し前まで心臓発作で倒れられたばかり。病床から教室を守り、日本の医療を守る、何よりも私のような危険人物を退官直前の講演に使って下さったことは、山下教授が命がけで後世に何かを伝えようとしていることがよくわかります。それだけ講演の準備に力が入り、全身全霊を注ぎ、「山口スペシャル・バージョン」の話をさせて頂きました。この地域から総理大臣が沢山出る理由がわかりました。
講演会後湯田温泉に移り、山下教授が育てられた有望な若手先生がたとともに、老舗松田屋で下関の河豚づくしの贅を尽くした歓待を受け、司馬遼太郎が泊まった部屋に宿泊させて頂きました。朝は5時に起きて、誰もいない温泉を満喫し、まるで天国にいる気分でした。お返しは山下教授と台湾で二人旅、屋台で「臭豆腐」を食べることを約束し、山口を後にしました。医局の先生がた、ご準備など大変お疲れ様、心より御礼申し上げます。後進たちのために役立つ機会があれば遠くからでも駆けつけるので、ご一報下さい。山口大学耳鼻咽喉科・山下教室の益々のご繁栄を祈ります。