命落としかけた話なのに、爆笑の渦?
恩師・村上信五名誉教授は、当時、全日本の耳鼻咽喉科医を束ねる学会の理事長を務めておられました。病院業務のほかに、耳鼻咽喉科関連の学会だけでも十数学会を数え、年間すべての会に出席し、続く毎晩の懇親会、さらに深夜まで及ぶ二次会・三次会、そんな生活が続いていました。
ある日、診察の最中に先生の携帯に直接電話がかかってきました。ただ事ではないと直感し、診察を中断して出ると「俺、昨日心臓が止まりかけてICUにいる。CPAPを持って来てくれないか」と。え、どういうこと? すぐに週末の東京行きを手配し、当時コロナ禍で面会が厳しく制限されていた中、白衣を羽織って病室に潜り込みました。
思い返せば、大学時代の医局旅行で同室になった時、教授のいびきは明らかに重症の無呼吸でした。しかも過去に手術歴もある。CPAPを勧めても「自分の血縁はみんな無呼吸だが、両親は長寿だったから大丈夫だ」と笑って聞き流されていました。今となっては典型的な「医者の不養生」です。ご両親は先生のように仕事と付き合いで忙殺される生活ではなかったのでしょう。それ以来、恩師は私のクリニックでCPAP療法を続け、今では快調にもとの元気を取り戻されています。
後日、「日本口腔咽頭学会で自分が心停止した話をするから、無呼吸の詳しいデータを教えてくれないか」とのご連絡が。「それなら先生がご自身の体験をお話しになり、詳細なデータは私がポスターでご説明します」とお答えしました。まさかこれが学会の大騒ぎを巻き起こす漫才コンビの誕生になるとは、この時は露ほども知りませんでした。後に「レコードA面(教授)とB面(弟子)」とギャグにされたのは、言うまでもありません。
教授がステージに立った瞬間、会場は拍手と笑いに包まれました。数多くの学会に参加してきた私が初めて目にした光景です。厳粛なはずの学会が、瞬く間に演芸場へと変身しました。何が起きたかわからず戸惑った参加者も、すぐにこれが前代未聞の症例報告だと気づいたのです。
教授は深夜まで続いたお付き合いの翌朝、シャワー中に異変を感じ、すぐに知人の大学教授へ電話、救急搬送されICUへ。その翌日に私へ連絡が来たものの、その後しばらく音信不通に。この間、心臓の状態はさらに悪化し、一度心停止。救命処置が施され、以来「いつ心臓が止まっても自動的に電気ショックを与える」ベストをしばらく着用することになりました。
この死の淵をさまよう体験から、教授は訴えます。睡眠時無呼吸症を甘く見てはいけない。耳鼻咽喉科医はこれまで局所の手術に特化してきたが、これからは全身を診られる医療者へと変わってほしい。そして何よりCPAPを始めて最も喜んだのは奥様だった、長年にわたって夫のいびきで睡眠障害に苦しんでいたことに、初めて気づいたと。今年から厚生労働省が睡眠科を正式に承認し、睡眠耳鼻咽喉科医師の資格制度も発足した。これを機にさらに精進し、患者のために頑張ってほしい、そう締めくくられました。
普通、これほどの体験をすれば、人生を悲観的に見てしまいそうなものです。しかし大阪育ちとはいえ、これを漫才に昇華できる上司は、さすが私の恩師です。今回の発表も、この学会で初めて若手会長として大会を企画された教授への応援の気持ちを込めてのことでした。私が今ここにいられるのも、恩師の存在なしには語れません。そしていつか、自分もそういう存在になりたいと思っています。
