PPPDシリーズ・その1:まさか若手の時に感じた疑問が・・・
医学部卒業直後から、医師たちが嫌う「めまい」疾患に興味を持ち、変な若手だと思われたようでした。本日もめまい専門医がそれほど増えないことを考えると、面倒、時間がかかる、いい治療方法がない、などの問題は続いているからでしょうが、その「主役」は症状に苦しむ患者であることを忘れられがちです。
当初の10年は忠実に教科書通りのめまい治療を行いました。しかし、どうも医師たちはデータ重視で、患者は必ずしも改善している訳ではないことに気づきました。眼振収まったから治ったと医師が言っても、いや、まだまだつらいのですと、患者から苦しみの声を頻繁に聞きました。「苦しい」というのはめまいの病気じゃないよと、嘲笑した先輩がいたことを憶えています。
その後、アメリカに留学し、コミュニティでよく円陣を組んで皆で話合う場面に参加することがあり、その経験からあることを思いつきました。同じことで悩む人同士が集まって一周話をするだけでことが解決して行く、この方法ならば多くの患者の声を吸い上げることができると思い、アメリカで始められた「集団精神療法」の研修を受け、帰国後、めまいにその治療を取り入れました。それまで現存の治療では改善しなかった患者が、「集団精神療法」でどんどん表情が明るくなることがわかり、この結果は後輩たちと数回に分けて論文報告しました(中山明峰:めまい患者に対する集団精神療法.Equilibrium Res . 57:588-595. 1998.)。
この発信に影響を受け、全国から多くの若手耳鼻科医から遊びに来てくれ、なかのひとりは九州から清水謙祐先生(現・宮崎県吉田病院部長)、もうひとりは慶応大学から五島史行先生(現・東海大学准教授)、この両先生はすぐに精神専門スキルを手に入れ、精神科医顔負けの診療を開始し、今では日本の耳鼻科疾患メンタルケアを牽引する名医となりました。
一方、この二人の出現した頃から、耳鼻科のなかで精神専門ではない人間がメンタルケアをする限界を感じ、結果的に傷つけてしまった患者がおられたこともまた心の悔いとなりました。逆に、一般の患者にメンタルケアをしようと言っただけで、怒らせてしまうこともありました。
心と身は切り離せないのに、このテーマをどうしたらいいかと悩んでいた時に、私の人生を変える二人の恩人が現れました。2010年に名古屋市立大学耳鼻科村上信五先生(現・日本耳鼻咽喉科学会理事長)からめまい外来をやってほしいという要請があり、迷いなく転職しました。新天地でどのような研究テーマでやって行くのか、誰にでもわかりやすくメンタルケアとは何か、と悩んでいた時、戸苅創先生(元・理事長)から睡眠医療センターを立ち上げてくれないかと拝命しました。
そうだ、メンタルに悩むひとは必ず睡眠状態がおかしい、それに世界でまだ誰しもが「めまいと睡眠」をテーマに研究したことがない、メンタルと言わずに睡眠障害を治療すれば自然とメンタルがよくなる、このことに閃いた瞬間、未だに忘れません。夢中で研究し、1年後に報告した「メニエール病患者に睡眠障害がみられる」報告は日本めまい平衡医学会で受賞し、このテーマはあっという間に世界に広がり、多くの国の要請を受けて講演をさせて頂きました。
人生に明るい光が差し込んだ2011年の頃、校内から卒後間もない精神科医が相談にやって来ました。彼の名前は近藤真前と言います。
つづく・・・