残したい店のひとつ:複雑な美味・焼臘
1年前のブログにも出したが、東京で驚くような本格的香港料理が庶民店として出現し、きっと悲しい結果に終わった傘運動に失望し、海外に流出した一流シェフの技に違いないと思った。そもそも日本には焼臘専門店が少ない。昔横浜中華街には沢山あったが、今ではまともな店は一軒しかない。焼臘とは、焼き物全般のことをいうが、馴染みがあるのは叉焼や蒸し鶏など、前菜に使われる肉料理のこと。通常コースだとそれぞれ一切れだが、この肉には手間暇かかるため、専門店が受け持つことは珍しくない。先日も横浜中華街焼臘店でテークアウト待っていたらどこかのレストランのシェフが注文したものを取りに来ていた。
スポットを決めて自分の脚で歩いて店探すのが好きだ。その方がネット情報よりよほど早くいい店が見つかるし偽情報に翻弄されない。神保町はBグルスポットのメッカで敢えてこの場所を選んだこの店は開店して間もない頃、焼臘の二文字に惹かれて迷いなく入った。店長が厨房からわざわざ料理を運んでくれ、色々と雑談ができた。数ヶ月後にはもう行列、1年で3店舗でき、今や上野の新店舗にいるため、名シェフが見えなくなった。基本的に一流のBグル中華は働く人間も客も中国語。ところが今回店員にひとり日本人が混ざっていた。聞けば誰もが知る名ホテルの若手シェフ。休日返上して勉強がてらの奉仕。手の内見せてくれるの?と聞くと、惜しむことなく弟子達も伝授してくれると。
その彼に聞いたが、なぜここの肉はこんなにジューシーで味が濃厚なのかと。通常焼き物はロケット炉、インド料理でナンを焼くような窯で肉をぶら下げて焼くのだが、ここはローストビーフと同様の西洋釜で焼いていると。思えば帝王が贅を尽くす為、皮のみを食べるため間に空気を入れて皮と肉をはがし(医学用語では皮下気腫という)、脂肪で皮を揚げるように鴨をぶら下げてロケット炉の炭で焼く。肉汁が流出するため、故通常コースではダッグの肉は食べない。ところが台湾が、皮は春巻きに巻いて北京ダッグ、肉は炒めて一品、骨はスープとの三吃フルコースを流行らせた。台湾では北京ダッグ注文する時は一羽単位だが、一吃と三吃で価格が異なる。正直三吃時の肉は美味とは言えないが、スープは美味だ。それをベースに考えると最初にトロを食べたような感動、ここのダッグも鶏も豚もどの部位もとろける柔らかさと濃厚さ、噛むと高野豆腐から出汁が出るように大量の肉汁が出る。
ホテルの若手シェフから聞いた話。今や一流ホテルの料理でもアウトソーシング、料理長でさえ焼臘に手を抜いていると。焼臘はコースの最初の一口、どうせお腹が空いてから多少誤魔化せるかも知れない。だけど上に立つ人間が手を抜いたらおしまいだぜ。
さて、本物の一流香港シェフがやって来たことは業界でも知られるようになり、わざわざホテルに行かずにして庶民店でそれ以上の料理が食べられるありがたい時代がやって来た。ただ、その裏で苦しんでいる香港の人たちがいる。どうかこのオーナーが日本で若手シェフを育て、その後彼が香港に帰りたくなうようないい国に変われるよう、祈りたい。どの世界でも愚かな人間が上に立つとどうしようもない。